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【特別寄稿:一考・教養主義】


元財団法人国際ビジネスコミュニケーション協会副会長
阪田貞宜

さかた・さだよし 1919 年生まれ。1943年東北帝国大学卒業後、国立国会図書館、アジア経済研究所を経て、1986 年(財)国際ビジネスコミュニケーション協会の設立に参加。理事長、副会長として「TOEIC」の普及に携わり、2008 年退職。
主な著書に『英語初級者のための自学自習レッスン』ぎょうせい、2009 年など。今年10 月にはNPO「元気な120 才を創る会」が選ぶ2010 年「ヘルシーエイジングパーソン」に選ばれている。

第3題 歴史――歴史とは何か

歴史は必ずしも真実を伝えない

 戦前の歴史教育では、わが国の皇統は神武天皇以来万世一系であり、紀元は2600年を越えるとされました。この考えでいくと百才を超える天皇が数多くおられることになるなど様々な問題を含んでいました。

 私の第一高等学校の級友である大阪市立大学名誉教授の直木孝次郎は歴史学者として戦後いち早く前記皇国史観の矛盾を突き、崇神天皇、応神天皇および継体天皇の政権交替を採り上げました。
 三輪山の附近にあった大和政権が衰えて河内政権に代わり、さらに継体天皇が新政権を立てたという説です。
 応神天皇から数えて五代目の皇孫といわれる継体天皇については、その出自、即位の経緯、支持勢力などについて様々な議論がなされています。

 現代でこそ可能になったこのような歴史の事実解明が、なぜ戦前に行われなかったのでしょうか。
 戦前にはわが国は神国であるという根強い皇国史観があり、そのイデオロギーに引きずられて、歴史的事実がゆがめられていたのです。

 私たちの多くは、歴史は真実を伝えるものと信じています。しかし歴史は書き変えられるといわれるように必ずしも真実ばかりを語るものとはいえません。
 とくに古い時代の歴史については、残された記録が改編されたり、不明部分を補う推理、推察が加えられたりします。とくに上述のように、主観的判断がイデオロギーなどによって偏向している場合には、表面的には筋が通っていても真実がかくされてしまいます。

 戦前の歴史教育はその意味で大きな過ちを犯しました。私たちは改めて歴史教育のあり方を明らかにする必要があります。
 そのための第一歩は、まず「歴史とは何か」を問い、社会科学の立場から歴史の真実を追求することでしょう。

 人が神のような超越的な力から解放され自由を手にしたとき、歴史についても理性に基づく様々な捉え方が説かれるようになりました。歴史を思想によってゆがめることなく、事実に基づいて論理的に考えるのが、歴史に対する基本的態度であるはずです。

歴史は歴史家が綴ったロマン

 私たちは歴史というと時の流れを川にたとえた『方丈記』冒頭の一節を思い浮べるでしょう。
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖と、又かくのごとし」
(『新訂 方丈記』岩波文庫)

 歴史の一つ一つの現象や出来事は流れに浮ぶうたかたにたとえられます。後世の歴史家はこのばらばらな事実を一つの連がりとして物語にまとめます。多くの場合この物語は栄光や称賛に満ちたロマンになりがちです。

 作者の感情や空想を含んだこれらのロマンは、虚構といわないにしても、歴史の客観的な記録とはかけはなれています。史書をひもとくときは、ロマンの面白さに惹かれることなく、記述の背後にある歴史の真実を推察せねばなりません。

 ある構想の下に個々の史実を材料にしてまとめた物語は歴史物語で、まったくの絵空事ともいえず、真実の記録ともいえない二面性があります。その構想には通常次のようなものがあります。

 例えば、栄枯盛衰、勧善懲悪、戦記、人物伝などです。またいろいろな民族が祖先の崇拝礼讃のために口承してきた物語に神話や国生み伝説があります。

 物語とは異なり史実の展開を客観的かつ論理的に追求する方法に仮説があります。過去の出来事や現象が真実であるには証拠が足らない場合に考え出された方法です。

 例えば、大和朝廷の成立については、江上波夫氏の「騎馬民族征服王朝説」が有名ですが、そのほか邪馬台国の所在について様々な仮説があります。

歴史に普遍的な法則はあるか

 「本能寺の変はなぜ起こったのか」など私たちは歴史上の出来事に触れるたびにその原因を問います。その意味では歴史の事象に因果関係があるといえるでしょう。ではある事象に現われる因果関係は他の事象を律する必然的なものでしょうか。あるいはその事象に限られた偶然的なものでしょうか。

 十七世紀には自然現象についてアイザック・ニュートンが万有引力の法則を発見するなど、力学理論体系が構築されました。
 十八世紀になると社会現象についても因果律が探究されるようになりました。アダム・スミスの「見えざる神の手」、マルサスの「人口論」などが唱えられました。

 しかし二十世紀にはこのような法則の存在を必然と考えずに、人間の自発的な意思に基づいて将来計画を立てるようになりました。とくに経済の分野では計画のための手段として数理経済学なども発展し、複雑で多元的な歴史現象に対処する方向に進んでいます。

 ヘーゲルは歴史の流れを定める超越者として神に代わり「世界精神」を置き、歴史の発展は正、反、合の弁証法的過程をたどるとし、歴史には理性に基づく普遍的法則の存在があると説きました。
 次いでカール・マルクスはヘーゲルの唯心論に代わるフォイエルバッハの唯物論を進めて史的唯物論を唱え、歴史の発展の中心に階級闘争を置きました。

 しかし唯心論にしろ唯物論にしろ歴史の弁証法的展開を説いた学者は、未来について何も触れていません。
 マルクスはいずれ階級の無い社会が来るとしますが、ユートピアの実現を説いているようにも見えます。歴史に普遍的な法則があるとしても、そこからは未来を導き出せないのでしょうか。

歴史は未来をどう語るのか

 歴史が時の流れであるならば、いかに混沌として複雑なものであっても、未来を示唆する萌芽はあるはずです。
 私は人類の歴史の発展は人が生きるために使ったエネルギーの結果であり、将来もこの状態が続くと思います。

 人の活動の中核となるのは、生命をいかに維持していくかの知的本能です。それが最も顕著に現われるのは技術です。
 すでに石油から電気へと動力エネルギーは変化しつつあり、クラウドによる電子書籍はパピルス以来の書物を大きく変えようとしています。

 また知的活動は発展へのプラスの方向とともに抑制へのマイナスの方向にも使われています。人口の抑制、環境保全への対策などです。このような発展拡大へのプラスとマイナスとのバランスをとりながら人間の知的活動は世界規模で進んでいきます。

 すなわちグロバライゼーションとよばれる世界的なコミュニケーション活動の展開です。国家中心のナショナリズムや特定のイデオロギーなどグローバルなコミュニケーションを阻害する要因は存在しますが、基本的にはその拡大はますます進んでいくでしょう。

 歴史は個々の事象についてのみ見ればその未来がどうなるか判然としない面がありますが、人類全体が生きていくための知的活動に焦点を絞れば、技術のみならず、あらゆる学問分野で未来発展の萌芽を見ることができるでしょう。
 そして未来を左右するのが知的活動であるならば、輝かしい未来に対する教育の重要性ははかり知れないものがあります。かね備えて始めて成り立ちます。

 王陽明の知行合一説のように「知」は「行」によって裏付けられて「良知」となるといえます。ただ「知」や「行」は集団(民族、国家、地域など)によって特定の慣習があることに注意する必要があります。

 また現今のように世界化が進んで異文化間のコミュニケーションが盛んになると、世界市民としての道徳が求められます。また新たな道徳に伴って知行の両面にわたりその涵養が求められます。
 私たちは現在「新しい道徳は何か」と問うても明確な答を持っていません。私たちに課せられた大きな問題であると思います。


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