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【特別寄稿:一考・教養主義】


元財団法人国際ビジネスコミュニケーション協会副会長
阪田貞宜

さかた・さだよし 1919 年生まれ。1943年東北帝国大学卒業後、国立国会図書館、アジア経済研究所を経て、1986 年(財)国際ビジネスコミュニケーション協会の設立に参加。理事長、副会長として「TOEIC」の普及に携わり、2008 年退職。
主な著書に『英語初級者のための自学自習レッスン』ぎょうせい、2009 年など。今年10 月にはNPO「元気な120 才を創る会」が選ぶ2010 年「ヘルシーエイジングパーソン」に選ばれている。

第1題 運命――運命のもたらす禍福

運命と「オテントサマ」か

 日本人はよく「運命だから仕方ない」と言います。人間は人間の及ばない超越した大きな力によって左右されているので、あらがっても仕方ないという諦感を持っています。
 ここでは私たちは自分たちの生きる世界には大きな力があることを感じ取って、これを運命として受入れているようです。
 多くの場合、このような絶対的存在は神や仏であり、それぞれ信仰の教義や体系を持っています。運命は絶対的な存在であっても神仏とは違います。

 運命とは何か、日頃から身近に感じているのに、改めて問うとはっきりしません。運命は私たち人間が属する天地を流転させる抽象的な力(エネルギー)なのでしょうか。
  したがって人間は天地の一部として全体の動きに従わざるを得ないのでしょうか。あるいは、この超越した力にはこれを支配する主体があるのでしょうか。

 東洋には古くから「天」という思想があります。「天」は信仰の教義や体系は持ちませんが、「万物を司る神」として考えられています。
 ギリシャ神話の運命の三人の女神モイライ(“moirai”)は最高神ゼウスの娘ですし、わが国の「アマテラスオオミカミ」も高天原を支配する神様です。

 「天」は天地の原理であるとともに天地を支配する神で通常「天道」と言われています。日常では「お天道様」は「オテントサマ」また太陽神として「お日様」は「オヒサマ」と親しみをこめて呼ばれています。

 日本人は運命を「天道」と関係づけ「オテントサマ」の命令、指図と受け取っています。「天運」「天命」という言葉もあり、「運を天にまかせる」「オテントサマはお見通し」など日常に使われる句もあります。
 運命は天地の流転を司る自然の道理であり、万物を主宰する「オテントサマ」の指図であると言えるでしょう。

運命の禍福は変えられるのか

 「セレンディピティ(Serendipity)」という言葉があります。『デジタル大辞泉』を引くと、「求めずして思わぬ発見をする能力」すなわち開運の能力を意味します。
 運命が「天」の指図によるものならば、人間は「天」の意思に逆って自分の禍福を決められるはずはありません。「セレンディピティ」のような能力が人間にあるとすれば、どう考えたらいいのでしょうか。

 私たち人間は自分の心の中で「こうしてほしい」と「天」と対話することはできます。「天」と心の中で対話して心掛けを正し、長寿を志し、災厄から身を守るなど人の道を踏むよう努めれば「天」は必ず報いてくれるでしょう。

 毎朝「お日様(オヒサマ)」「お天道様(オテントサマ)」を拝んで心を清らかにすれば、平穏で晴れやかな一日が始められます。昔の人の言う「お天道様はお見通しだよ」を思い浮べ、謙虚で平静な心を持つことが大切です。

 しかし世の中には本人に何らの落度はないのに不条理な人生に終わる人がいます。戦後間もなく『ある遺書について』(塩尻公明著)がベストセラーズになりました。
 遺書の主は木村政夫氏で、旧制高知高校から京都大学を出た塩尻公明氏の教え子です。

 戦時中、彼はインド洋のカーニコバル島で陸軍の通信兵でした。終年の年の春、島の沖のイギリス潜水艦から信号弾が打ち上げられましたが、その通信相手を通信兵の木村さんが探知し、その島民は処刑されました。

 当時の陸軍の上司は処刑への関与を否定し、上等兵の木村さんが罪を背負って絞首刑になりました。前記の書は差入れられた西田幾太郎著『善の研究』の余白に書き込まれた木村さんの遺書について書かれたものです。

 なお遺書の全文は、『聞けわだつみの声』の最終章に載っています。木村さんは遺書の中で、多くの日本人の罪を背負って絞首刑になると自分を納得させています。不条理な運命でも人はこれを受入れる心を持っているのでしょうか。

運命に逆わない生き方

 運命は人智の及ばない超越的な力ですから、人間が背く背かないの対象にはなりません。ただ運命に逆わない生き方はあります。
 少なくとも運命のもたらす禍福の幅を狭めることはできるでしょう。

 その一つは、運命に左右され易い日常生活ではひたすら無欲で生きること、次にどんな運命でも受け入れる心構えを持つことです。東洋では求道や修行のため世俗の生活を棄て山野に隠棲することが行われます。

 これを「遁世」と言い、仏教では「出家」と言います。俗世に煩わされず心を鎮めて、ひたすら人の歩むべき道の何であるのかを悟るためです。
 このような修行によって、運命に心を動かされることなく、日々を平穏に過すことができます。信仰によっても運命を恐れない心は生まれます。

 キリスト教やマホメット教の神は、信者の生活に強い影響力を持っており、信者は運命をあまり意識しません。日本人の神仏は人間を包み込む広大な力として意識されるのに対し、西洋の神々は人を教え導く強大な力を持っていると言えるでしょう。

 ソクラテスは正義に殉ずるためあえて自ら死への道を選びました。紀元前六百年ごろソクラテスは「若者を堕落させ、国家の崇める神々を崇めず、別の新奇な神格を崇めることによって不正を犯している」という罪状でアテナイの市民裁判で告発されました。

 これに対してソクラテスは意を尽した弁明を行いましたが受け入れられず、国外逃亡で死を免れるよりも正義を守るため毒をあおりました(プラトン著『ソクラテスの弁明・クリトン』講談社学術文庫参照)。
 ここでは大義のためには運命を越えて行動する人間の強い意思があることを感じます。

運命への願いと祈り

 運命が超越的な力であるならば、人はその指図を予め知る方法はないかといろいろ考えました。個人であれ集団であれ未来を知ることは自分のこれからの生活に関わります。この場合神仏を強く意識すれば宗教になります。

 「占い」は何らかの表徴によって未来を知ろうとする方法で、ほとんどの民族がそれぞれ固有の仕方を持っています。
 例えば、異常な天文現象(彗星の出現など)に何らかの前兆を見たり、人為的に道具(亀の甲、筮竹など)を用いて予兆を作り出したりします。
 我が国でも陰陽道が平安時代に吉兆の判断に用いられました。

 超越的な力に対して人が願い事の適うよう積極的に働きかけるのが「願掛け」です。対象が神仏であっても宗教的行為とは異なり、個人の強い願い事の実現を目的とする行為です。「雨乞い」「お籠り」「お百度参り」などいろいろな形態があります。
 願い事が適うかどうかはともかく「願掛け」によって心の安定が得られるでしょう。

 音楽は神仏や自然など超越的な力と一体になる効果的な手段です。自然には風の音、波の音、鳥のさえずりなどリズムやメロディを持った音声に満ちています。
 音楽はリズム、メロディ、テンポを体系的に組み合わせたもので、超越的な力への願いや祈りには音楽が用いられます。キリスト教の教会音楽であるミサ曲や賛美歌はその典型的なものです。

 東洋でも「礼楽」を強調し、音楽によって行いを正し心の安らぎを求めました。音楽の節度あるリズムやメロディを聴けば自ら心が安らぐからです。

 ベートーベンの第九交響曲「運命」ほど日本人に好まれる曲はないでしょう。「運命の扉を開く」と言われる最初のモチーフから繰り返される旋律は日本人の心に言うに言われぬ安らぎを与えます。
 シラーの歌詞は通常ドイツ語で発音され、日本人には「歓喜」や「同胞愛」のテーマは伝わらないと思いますが、言葉なしでも音楽を通じて運命との一体感が生まれています。


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