ページ内移動用のリンクです

メールマガジン登録
登録で3つのメリット
月刊はるかプラスのバックナンバーがご覧いただけます。
管理職試験・超研究のお役立ち情報が満載!
はるかプラスや教育に関する最新の情報をお届けします。



【特別寄稿:一考・教養主義】


元財団法人国際ビジネスコミュニケーション協会副会長
阪田貞宜

さかた・さだよし 1919 年生まれ。1943年東北帝国大学卒業後、国立国会図書館、アジア経済研究所を経て、1986 年(財)国際ビジネスコミュニケーション協会の設立に参加。理事長、副会長として「TOEIC」の普及に携わり、2008 年退職。
主な著書に『英語初級者のための自学自習レッスン』ぎょうせい、2009 年など。今年10 月にはNPO「元気な120 才を創る会」が選ぶ2010 年「ヘルシーエイジングパーソン」に選ばれている。

旧制高校で学んだ教養は人生で役立ったのか

なぜいま教養を語るのか

 「イッコウ」と言っても若い人には何の意味か分らない時代になりました。旧制の「第一高等学校」は歴史の流れの中に名称さえ消えようとしています。戦後間もなく新制大学へ改編されてから六十有余年、「一高同窓会」も無くなってしまいました。

 旧制高校で行われた教育は「教養主義」と近ごろ言われますが、私が学んだころにはそのような言葉はありませんでした。ただ学校の教科にはあまりしばられず、宗教、哲学、思想などに関する書物を自学自習し、学識の基礎を身につけることを志しました。

 その底辺には明治以来のナショナリズムを払拭し、市民社会のエリートとしての自立精神の強調がありました。そこには知識を拡げ、人格の陶冶に資する知的教養への指向があり、「教養主義」と言われたのでしょう。
 もちろん教養は読書だけでなく、芸術など感性によっても、また他者とのコミュニケーションによっても涵養されますが、学校教育では主に知的教養に結びついていたと言えます。

 教養は言うまでもなく時代の環境によって内容が変化していきます。
 私の受けた教養主義教育は大正から昭和初期にかけて環境に対応して生み出されたものですが、六十年を経た今でも参考になる点が多々あると思います。教養主義教育がその後の人生で生かされたのかどうか、今にして文にまとめておかねばとあえて筆を執りました。本連載が教養を考える上での参考になれば望外の幸せです。

「イッコウ」で学んだ教養

 ここでは私が第一高等学校に入学した昭和十三年四月から十六年九月卒業までの二年半の経験を基にしています。

 教科の中心は語学ですが、徹底した読書力中心で会話は全くと言っていいほど行われませんでした。読書もまた原書主義で、原書をオリジナルな語(ドイツ語専攻の文科乙類ではドイツ語)で読むことが中心でした。
 文法は一、二か月で概略を済ませ、夏休みにはヘルマン・ヘッセの『車輪の下で("Unterm Rad")』や『インメンゼー("Immen See")』などを読みました。

 特に文科乙類はドイツ語専攻ですから、カントの二つの『理性批判』やゲーテの『ファウスト』なども在学中に読了しました。

 しかしカントのドイツ観念論などは内容を理解できるはずはなく、その読書も青年らしい見栄にすぎなかった面もありました。

 ともあれ今にして思えば、読書を通じて外国文化を理解しようとする日本人の熱意には驚嘆すべきものがあったと感じます。

 また、学校の授業は極めて厳格で、授業には必ず点呼があり、欠席すれば学年末の当落に関係しました。生徒側の対策として「ダイヘン」がありました。「ダイヘン」は代理返答の意味で、欠席者に代り点呼に応じて「ハイ」と発声することです。

 ただ先生によって厳格さに差があり、生徒も心得て厳しい先生の時は「ダイヘン」はしませんでした。

 私が在学した時には明治以来の長老の先生(岩元禎、菅虎雄先生など)がまだ教鞭を執っておられました。その授業は専ら読書で語学力の向上に資したとは言えませんが、長老の先生方の存在そのものから教養重視の雰囲気を感じ取りました。

全寮制度による自立心の芽生え

 旧制高校では全寮制度といって、生徒は原則として学生寮に入ることになっていました。入寮すると生徒は、身の廻りのことは何でも自分ですること、仕事を分担して助け合うこと、自分の行為に責任を持つことなど、それまで家庭に依存していた多くのことを自分ですることになり、そこに自ら自主独立の精神が芽生えました。

 その上、同じくらいの年の友人と学識の向上、人格の陶冶を切磋琢磨する機会を得て自治の精神も養われました。いわば社会人となるための訓練が行われることになりました。

 寮は運動部屋と一般部屋とに分かれます。一般部屋は文科、理科とを問わず同学年のものが入ります。端艇部は文科と理科に分かれ、文端と理端になりますが、文端と理端の対抗ボートレースの時は、一般部屋は組選部屋として学年を通じた縦の集団となります。

 運動部屋は学年混成でこれも当然縦の集団です。こうして部屋ごととともに学校全体として伝統が引継がれていきます。

 また、学校の寮ですから勉強も含めて日常の生活は部屋ごとに行われ、そこにはいくつかの「標語」が生まれます。部屋によって違いもありますが、私の思い出す語句を取り上げてみましょう。

・ストーム
新入生の部屋に乱入し、寮歌を高唱したり、説教を与えたりすることです。寮生活への適応や自立を新入生へ促すもので、十八世紀末の西洋のシュトゥルム・ウント・ドランク(Sturm und Drang・疾風怒濤)運動に因んで名付けられたのでしょうか。

・ろうべん
夜遅くまで勉強することです。電灯が消え蝋燭を立てて勉強することを簡略化したものです。何となく「蛍雪の功」を思い浮かべます。

・読書に沈潜するな
王陽明流の知行合一の主張でしょうか。当時、左翼運動は弾圧され、右翼の過激な活動も散発する程度でした。当然学生は書斎にこもる風潮があったのは確かです。

教養主義教育はもう役立たないのか

 現今は〝世界化〟(グローバル化)が進み国境を越えて異文化間のコミュニケーションが行われるようになりました。人も国民であるとともに世界市民としての性格を持つようになってきました。新しい時代が要請する教養も当然内容が異なってきます。

 現状では新しい教養がどんなものであるかは明確でありませんが、知的教養よりも相手に接する時の心的態度が重要となってくるでしょう。いずれにしても世界市民としての教養はいかなるものであるかはこれからの大きな課題です。

 現今は自然科学を中心にして学問の分野は拡がり、専門化もますます進みます。科学の基底にある知識とは何かを問うても難しい問題です。
 教養は知的なもの感覚的なものを離れて、日常の実践の中で真なるもの善なるものを感じ取るほかありません。ある集団の中でこのような経験知がたまれば、その集団とその成員は世界市民として他国民とも円滑なコミュニケーションが可能になるでしょう。

 旧制高校の教養主義教育は時代とともに忘れ去られようとしています。その原因は大別して二つあります。
  第一は、前述のように世界化が進み、世界市民として教養のあり方が変化し、教養も知より行に重点が移ったこと。
 第二は、高学歴化が進み、元来エリート層の育成を目指した教養主義教育の必要性が薄れたことです。

 しかし教養が行としての色彩を帯びても専門知識の基底としての役割の重要性は変わりありません。知的教養は専門知識が根無し草にならないためにも、その内容を改変しつつ残していく必要があります。本稿も参考の一助になることを願っています。


ページ上部へ